トランジット木星の乙女座入りで考えたこと
8月11日に、トランジット(天を運行中)の木星が、乙女座に入りました。うっかり数日過ぎて気づいたのですが、木星は「世の中の常識」「人々の”善”への意識」をつかさどります。皆さんの意識の中で、何かが変化しつつあるでしょうか?
木星といえば、占星術では最大の幸運の星と言われます。なぜ「占い」でそう言われるかといえば、「世の中でそれが”よいもの”として認識される価値観として認められる」からです。価値や、人々の意識は、短い年月の間でも、微妙に変化して行くでしょう。その変化は、進歩とも思いたいですね。そうした「一般の多くの人たちの意識」を巻き込んで変化していく”ブーム”のような役割が、木星です。
その木星が乙女座に移ったということは、世の中や人々の意識が、乙女座的な意識にシフトしたということです。もちろん、乙女座に入った瞬間にいきなりすべてがシフトするわけではなく、ジワジワと変化したことにしばらくたってから気づいたり、あるいは感覚の鋭い方は、乙女座入りする少し前からその兆しを感じて変化していたかもしれません。
さて、なにしろ”幸運”の木星なのですから、そこを掘り下げる・広げることが、今の私たちにとっては進化・発展をもたらす鍵だと信じて、そのあり方を探ってみたいものです。
その鍵となる乙女座とは?
西洋占星術のスタディーグループ「星のサロン”アストロ★コンシャス”」に、このT木星の乙女座入りのことを書いてから、ふと気づきました。
→ 星のサロン”アストロ★コンシャス” – T木星の乙女座入り
上のブログでは、乙女座を女神アストレアに例えて書いていますが、ちょっと調べてみると、乙女座に表現されている女神は、諸説あるのです。
・豊穣の女神デーメテール
・正義の女神アストレア
デーメテールはおそらく作物の収穫の時期に対応しており、アストレアは乙女座の次に来るサイン天秤座(善悪を計る道具)を手に持つことから、対応されたのでしょう。
この2つの女神が、乙女座を現す女神として有名ですが、描かれたその姿も、かなり雰囲気が違います。穀物の実りを司る豊かなデーメテールと、片手には善悪を計る天秤・片手には剣を持った正義のアストレアでは、まるで女性性と男性性の象徴ほどイメージが異なります。
そんな中、ふと興味深かった記事を発見しました。この解説によると、豊穣の女神デーメテールも、冥界に連れ去られた娘ペルセポネーを救うためにかなり策を練り、その内奥に「公正」の意思を持ち、それを曲げなかった強さが描かれています。
→ 星の神殿 – ギリシャ神話 乙女座
そもそも、乙女座の一等星「スピカ」はとても明るい星ですが、ひとつの星ではなく「連星」といって、2つの星がお互い回りあっているのです。その周期、わずか4日ということで、かなり早いスピードです。これは私の勝手な印象ですが、上の2つの女神が例えられているように、豊かで女性的な豊穣の女神と、剣を持ってまで正義をつらぬく女神、この2面性を内包しているようにも思えました。
そんな2つの側面を持つ乙女座の傾向を、これから約13ヶ月間の間、私たち人間は、その発展のためにどのように生かせば良いのでしょうか?
自分の内側にある、豊かな刈り取りの部分(これまで鍛錬してきたことの完成と成就)、そして次の天秤座サイクルから始まる「本当の社会生活」に向けて、社会のあり方を健全化するための役割(公正さ)。今の社会のあり方に目を向けつつ、自分の個人的生活を振り返ってみても、とても役に立つヒントがあるはずです。
ところで、女神アストレアは、人類がまだ法律も持つ必要のない温暖で(四季がなく)平和だった”黄金の時代”に地上に暮らしていましたたが、その後、白銀時代に四季が生まれ(デーメテールの神話と重なります)糧のための農耕(労働)や住居が必要となり、さらに銅時代になると人類は武器を持ち、続く鉄の時代には鉄や金などの地下資源を手にし、さらに地上に悪行がはびこったのだと。そんな中、神々の中で最後まで地上に残った女神アストレアも、地上が血に染まると、もはやこれまで、と天に戻ったと言います(参照:Wikipedia アストライアーの項目より)。
そんなアストレアのお話は、どこかで「人類へのあきらめ」を感じ取って悲しくなりますが、ふと興味深い記事を発見しました。それは、「いつの日か”黄金時代”の再来を携えて、地上に戻ってくる」という逸話が、アストレアの神話にあるそうなのです。
“In her myth, she will return to earth one day bringing with her the return of the Golden Age.”
(参照:This Hollow Earth – God of the Week: Astraea )
その”黄金時代”の再来を、早めるのも遅らせるのも、私たち次第でしょうか?